独身税は新卒を直撃するかも?

共同通信社の記事から漂う予感です。 記事によると世帯年収が800万の子供がいない世帯は負担増とのことですが、疑問点が多々あります。
例え観測気球だとしてもアホな主張です。
まぁCeron もはてブもDINKS DINKS と、ユーザー高齢化が推測される単語がいっぱいなのはとても残念です。

世帯年収の定義
例えばですが世帯の稼ぎ手が4人いれば、一人201万円の収入だと世帯では804万円、増税の対象になります。
しかし、1人201万円はどう考えても富裕層ではありません。
4人はいささか非現実的ですが、稼ぎ手が3人いる世帯は容易に想定できます。

この記事のタイトルにあるように
親+新卒の子というのはあり得るシチュエーションです。僕が当事者ですが 笑
僕が家を出ない理由は、やはり実家暮らしだと支出を抑えられる、という点が大きいです。家事も分担できますしね。
私の世帯にはまだ扶養に入っている私の兄弟がいますが、しかし当然僕の子供ではありません。

子供の定義
ここで言う子供とは「誰」なのでしょうか?確かに私の兄弟は私の子供ではありません。しかし世帯でみたときは私の子供に当たります。ここら辺はどう制度設計するのでしょうか?

まさか、僕だけ増税するんですかね?でもそれって若手を貧困化させるだけで本末転倒だと思うんですよね。同時に私の親の負担をあげるのでしょうか?そうなると私の親は私を追い出すほうが合理的です。かくして親の負担は増えず、子の負担が増えます。これも結局若手の負担増ですね。詰んでますね。
ここらをうまく解決しない限り(無理だけど)、政府主導での更なる少子スパイラルとなることだけは間違いなさそうです。

しかし、あれですね。もし子どもの定義を未成年とするならば、日本の年功序列型賃金との相性は最悪ですね。何せ50代からの年収はキャリア初期のやっすいやっすい賃金の対価の側面を持つわけですが、そこを子なしという理由で増税が直撃するわけです。

これを回避するには偽装離婚が最も合理的なわけです。自民党さんとしてはここらの、理想の家族像とかけ離れる現象が起こることを踏まえておられるのでしょうか?

庶民はぶっちゃけ理想の家族像よりもお金が大事ですからね。今は世間体を気にしていますが、
例えば
子なし増税が年一万円ならどうでしょう?
おそらく偽装離婚がほとんどないでしょう。
しかし、これが年50万円くらいとなると、おそらく離婚が一般化するでしょう。しかも双方合意なので円満離婚です。古きよき日本では考えられない現象ですね。

法人と個人 正の報酬負の報酬
ここで更に意味がわからないのは
なぜか法人には良いことをしなかった時の罰が設定されず、対して個人には罰が設定されているというダブルスタンダードが存在することです。

もし、子なし税を個人に課すなら、
企業にも課せば良いのではないでしょうか?
企業の振る舞いが少子化に与えた影響は、0であるとは誰も言えないでしょう。
そして子なし税を払っている企業名をバンバン公表すればいいのです。
これなら子どもを作りたい人は積極的にそのような企業を避けることができます。子なし税に引っ掛かる企業があまりにも多いのであれば、それこそ子育てしやすい社会を形成する好機になります。

懲罰的税制よりも社会参加促進
政府がやりたいことはわかります。しかし、懲罰的な態度をとるのなら企業に対して先行すべきですし(個人よりも企業のほうが強いのは当たり前です)、何より先天的な理由で子どもを作れない人だって厳然として存在しています。
では、他の動物は自分の子どもを持っていないと子育てに参加しないのでしょうか?

山東氏の4人で表彰記事を見て
この方はいったい何を考えておられるのでしょうか?
ここでも企業と個人に対する姿勢の違いが鮮明ですね。
企業が良いことすれば実のある報酬
良いことをしなくても罰はなし
他方で
個人が良いことをすれば実のない報酬
良いことをしなければ増税

残念ながら政府与党が誰のために政治をしているかはこれで明らかではないでしょうか?
どう見たって企業のために政治をしています。
「違う、庶民を見ている!」
と主張するのであれば、それこそ庶民にするように、賃上げを実施した企業を表彰すれば良いのではないでしょうか?
あるいは子どもをたくさんもうけた家庭を減税すれば良いのではないでしょうか?

追記
どうもキーは年収とこども(年齢制限)のようですが、これはこれで年功序列賃金との相性が最悪ではないでしょうか?
日本型賃金はライフスタイルの変化による支出増に合わせた賃金上昇スタイルでした。
だからこそ、大学卒業の新卒を20万円という、
一人で生きていくにはある程度の自由はあるが、子どもを扶養できない額、老後の蓄えをできない額でオファーすることを許されています。
日本社会において、企業は年長者に若い頃の低賃金を強いた対価として、ある程度の給与を払う義務を負います。
払わない企業も増えてきていますが、そいつらは若者を低賃金で雇える権利を享受し、中年期以後に対価を払わないフリーライダーなので袋叩きにすべきでしょう。

少なくとも、昇給しないのであれば、労働者はてきとーに働いておけばよいのです。昇給しないってことは評価されていないってことですからね。誠意は言葉ではなく金額とは至言です。

話が逸れました。
50代以降の高年収は年収300万で働かせた対価であります。
20代 300
30 400
40 450
45 500
50 900

これでも平均すれば
300*8+400*10+450*10+500*10+900*10/38
= 655
です。
50代の年収900万は帳尻を合わす効果しかもっていないのです。

このような人たちに向けて
「あなたは子どもがいないのに高給取りだ。従って増税する」
と言っているわけです

政府の意図がわかりません。
そもそも、年収900万円の世帯は概して50代以上の割合が多くなるでしょうし、
彼らに子無し税を課税しても、生殖能力の低下もあり、罰の効果を持ちません。

ならばなぜこのような制度にするのか?
おそらく、ガス抜きでしょうね。
抜本的な制度改革はまだまだ先になりそうです。

年金財源の付け替えは不可 法人税増税が王道

さる記事を読みました。ざっくりまとめると、その記事(便宜上以下Aとします)では

·少子化対策に新たな財源は不要
·幼児に対して給付を!
·財源は親の年金の前借り

といった内容でした。

僕としては上策とは思えなかったので、以下つらつらと

·制度の実現性
ほぼ不可能です。
この制度を子育てする人が使用したとしましょう。
今現在給付対象となる児童は約200万人です。
年間に必要な額は
100*144+100*120=26,400
ざっくり2兆ほどです。
これからさらに年金収支が悪化するとされているなかで、一年あたり2兆円の追加支出をする余裕があるとは考えられません。

·年金制度に対する誤解
Aでは現在の年金制度を前借りが可能な、つまり積み立て方式であるかのようにとらえていますが、実際はもちろん賦課方式です。
つまり今現在納めている保険料は将来の給付を保証しません。
逆にいえば現在の高齢者はこの保証、言い換えれば制限がないために、もらい得となっているわけです。
ゆえに年金制度を積み立て式に転換することが大前提となりますが、これは高齢者の猛反発にあうでしょう。だいたい三号年金すら解決していない現状で、フリーライダーを許さない制度など構築できるのでしょうか?
A の筆者はおそらく現行制度が賦課方式であることなど承知の上でこの記事を作成されているものと思われますが、自身の考えた制度を説明する際には積み立て方式を前提にするのはあまりに都合がいい考え方ではありますね。
また、Aの主張する制度はまず余剰金が存在していなければなりません。仮にこの制度に移行したとすると、(積み立て式に転換したとすると、)余剰金は存在しないことになります。そうすると、じゅうぶんに年金を払っていない若い子育て世帯に対しては、世代間の所得移転をさせなければ給付することはできません。つまり結局賦課方式に戻ってしまうわけです。A が主張するほど積み立て方式は良い制度ではないのです。

·誰の年金を誰が使うのか?
Aでは親(両親か片親かは不明確)の年金を前借りする、とのことでした。しかしそれでうまくいくでしょうか?
例えば子だくさんの家庭があったとして、
納めた保険料〈子育て給付
が成立してしまうとこの制度は破綻します。
かといって出生数による制限を設けると、この制度からこぼれ落ちる子どもが発生します。
これを避けるためには子どもの年金を前借りして親が子育てに使用することが最も合理的ではありますが、そうなると親の資質によっては子育てに使われないことも想定されます。

やっぱり法人税増税が王道
子育てができるかどうかは社会が子育てに寛容であるかによるところが大きいと思います。
「わが社は子育て推進企業です!」
とおっしゃる経営者の方々も本音では
「仕事に影響がでない範囲での子育て」
を推進しているにすぎません。
無論反論もあるでしょう。
しかしながら、多くの企業では子育て支援制度は形骸化しています。
主な働き手である男性の育児休業取得率を見ても明らかです。
これは怠慢、あるいは日本の将来に対してフリーライダーであるといえるでしょう。

この意味において、使途を子育て支援に限定した法人税の増税は有効です。
企業が会社員に目に見える結果を求めるように、企業にも目に見える結果を求められる、その有効な手段となるからです。

増税に反対する企業は少子化対策に貢献する気のない企業とのレッテルを貼られることでしょう。
確かに増税はできれば避けたいものです。
しかし子どもが増えれば消費が増えます。
また将来の労働者も増えます。
企業にとって悪いことばかりではありません。

企業には投資だと割りきって法人税増税を受け入れてもらいたいものですね。。。わかってますよね?経団連さん?笑

まずい給食は失政の象徴

世間では解散解散と連日報じられていますがちょっと前に話題になっていた給食についてつらつらと書いていきます。

某ブログではまずい給食は結局のところ行政側の過剰なコスト削減にも原因があるとの主張がされていましたが、僕も同意見です。

しかし行政がコスト削減に走るのは、そうしないとrestorationを錦の旗のごとく突き立てる人たち、ひいてはそれを支持する住民に叩かれるから、という面は十分に存在します。

というわけで、本記事ではまずい給食を食べさせられた中学生が将来どのような選択をするかについて思考実験をしてみます。

1.給食は本当にまずいのか

まず本題の大前提となる給食がまずいのかについてです。

食べればわかる、と言いたいですが

本当にまずいです。

まず献立がおかしいですね。
白米に牛乳が週3ペースで出てくるわけです。
不味くても食べろとおっしゃる方々はまずこの組み合わせを耐える修行をするべきでしょう。
こんな組み合わせになるのはきっと牛乳はコストが低いからでしょう。

次によく言われる冷めてるとのことですが、これも本当です。
たぶん同じ値段でコンビニ弁当を買うほうが満足度は高いでしょう。温められますし!

2.何と比べてまずいのか

これはずばりそのまま聞いたわけではないですが、自身の経験と合わせて考えると、
「小学校の給食よりまずい」
これが本音でしょう。
給食がまずいから食べない中学生を批判する人たちは、ここがわかっていないのでしょう。

中学生にしてみれば、小学校時代は温かい給食を食べていたのが中学校に通うようになると冷めた給食を提供されるわけです。これは誰も望んでいないでしょうし、強制されるものです。
つまり中学生はおいしい給食を「剥奪」されたと解釈するでしょう。

少なくとも調理員さんに感謝の気持ちを抱くのは難しいではないでしょうか?

3.モチベーション、学校に対する考え方

まずい給食にモチベーションを上げる効果はゼロでしょう。むしろ下げるでしょう。
そして学校に対しても良い印象より悪い印象を抱く要因となります。
(まさか美味しくないご飯を提供されてなんていい店だ!となる人はいませんよね?)

さてここまでは現役の中学生が抱くであろう考えを挙げて見ました。
ではなぜ失政につながるのか?それは次の問を考えることで明らかになります。

4.もし自分に子供がいたとして、その子にも同じ給食を食べさせたいか?

僕ですか?もちろんNo です。
嫌なら出ていけはネット上ではよく言われる言葉ですが、給食問題に関しては致命的になり得ます。
さて食べさせたくない派の人たちはどのような行動を起こすでしょうか?

逃げる(引っ越す)か戦う(政治家を動かす)の二択でしょう。
諦める人もいるでしょうが今回はこの人たちに関しては考えません。ご了承ください。

さて逃げるか戦うかですが、どちらのほうが多数意見となるでしょうか?

おそらく逃げるが多数を占めるでしょう。逃げるのは自分と家族を説得するだけなので戦うに比べてずっと安易な手段です。
さらに引っ越し先の給食事情を調べた上でならまずい給食に行き当たることはほぼあり得ないのです。
安易であるだけでなく、確実な方法が逃げるです。
戦うことは困難を極めます。
まず勝てる見込みはほぼありません。
戦うのは中学生の親とその他の有権者です。
もはや圧倒的に不利な状況です。しかも一年やそこらで簡単には変更できません。つまるところ戦ったとしても戦果を自分の子供には享受させられないことが十分に考えられます。
最後には逃げるに方針転換することも考えられます。

さて子育て世代が逃げるとどうなるか。結果は明らかですが、その自治体は衰退していきます。おそらく一定水準を下回った段階で引っ越す人間は爆発的に増えるでしょう。

結局のところこの給食問題を解決するには、給食の調理を公が行うことが重要になります。
当然設備のない自治体は投資が必要になり、それは住民に負担を求めることに直結します。
本来ならここで政治家が役目をはたすできですがほとんどが政治屋な現状ではそれは無理でしょう。
かくして給食問題は解決されないままお得意の次世代への責任転嫁が起こるというわけです。

結局個人の選択肢のなかでは逃げるが勝ちですよ。